クリニックの歴史

◆初代院長   宮内 一二 
          一二      
         大正7年頃 宮内医院を東京赤坂で開業
         その後温暖な伊豆にあこがれ三島市大場に医院を移転して開業
         大正12年の関東大震災で医院は全壊、現在のクリニックの場所、                                    三島市泉町に移転し再び開業した

◆二代目 院長   小川(宮内)正子 初代院長宮内一二の長女

         昭和32年一二が脳梗塞となり院長を継ぐ

◆三代目 院長   宮内 厚芳 一二の長男、正子の弟
         厚芳          昔の外観風景
                       厚芳が院長に就任したころの外観風景/昭和38年4月

         昭和38年4月 姉 正子から引き継ぐ
         以来長年地域に根ざしたドクターとして多くの功績を残す
         昭和63年医療法人社団久仁会開設
         平成8年11月、平成6年に医学部6年生-24歳の若さで急逝した二男 
         信(まこと)の名前をとり『宮内まこと記念クリニック』に改名

         平成18年9月27日骨髄異形成症候群により永眠する 享年79歳

◆四代目 院長   吉冨 雄治 
         S院長普通
         宮内厚芳の死去に伴い院長に就任、現在にいたる
        

『宮内まこと』って?

                信幼少            
宮内 信(まこと)は、昭和45年9月14日 三代目 院長 宮内厚芳の二男として生まれた。子供の頃より父のような医者になりたいと志し、医学部に入学し父と同じ医学の道を確実に一歩一歩進んでいた。
 しかし卒業を真近に控えた最終学年6年生の平成6年11月9日、突然急性動脈瘤解離という病により24年という短い生涯をとじた。
その短い時間の中で彼は多くの友人や、後輩、素晴らしい先輩たちに恵まれ貴重な体験を多く積んでいた。医学の勉強をする傍らアーチェリー部では全国の大会に出場し、軽音楽部・吹奏楽部に在籍、ドラムを担当し数多くのステージを踏んだ。また大学の国家試験対策委員長として他大学医学部の代表たちと国家試験対策会議に大学の代表として臨んでいた。
多くの素晴らしい仲間たちと素敵な時間を共有していたことは、彼の通夜・告別式の際、全国から彼を惜しむ仲間が駆けつけてくれ、三島市内の宿泊施設がいっぱいになってしまったことが物語っていた。
 父であり院長であった厚芳は、信の死後、自分の知らない息子が持っていた偉大さ、強い意志、誰もを包み込んでしまう無限の優しさを知り、感動し自分の医院も信のように謙虚で人と共に歩んで行きたいと、古い医院を完全に建て替え、平成8年11月1日『宮内医院』から『宮内まこと記念クリニック』として新しいスタートを切った。ちょうど彼の死から2年後のことである。
信お勉強 信手術着 信お勉強2 信図書館 信図書館2 信問答 信問答2 信大学仲間 信考え中 信夏バテ 信バウワウ 信ドラムウィンク 信セッション 信シルエット 信カラオケハウス 信オケドラム 信アーチェリー 
                 遺影
                 大樹チャン